私は幼い頃、山へ虫取りに行ったり、川へ魚捕りに行ったりと、自然の中で遊ぶことが大好きでした。また、ものづくりが好きで、当時流行っていたプラモデル作りに夢中になっていました。そんな幼少期を過ごし、その後は将来の目的も見えず、日雇い労働などをして職を転々としながら鬱屈とした日々を過ごしていました。
私の人生とって転機となったのは22歳の時、私を小さな頃から可愛がってくれた祖父が亡くなったことでした。日本では土葬ではなく火葬が一般的であり、お骨は骨壺に納めてお墓に埋葬します。つまり、骨壺は人間が最期に入る大切な場所です。しかし祖父のお骨は、機械を使って大量生産された無機質で冷たい骨壺に入れられようとしていました。その瞬間私は、「この壺が人生を終えた最期の場所として相応しいのだろうか?何かが違う。」と強い違和感を憶えました。そして、私の父や母が亡くなった時には私の作った骨壺に入ってもらいたいという気持ちがふつふつとこみ上げてきました。
私はこれまで続けてきた仕事を辞め、多くの窯元や工房が集まる陶磁器の産地、瀬戸で焼き物と真剣に向き合うことを決意しました。早速、瀬戸にある愛知県立窯業技術専門校に入学し、焼き物について勉強を始めました。
卒業後は織部や志野で有名な美濃焼きの窯元に修行へ行き、見識と技術を深めました。その中で私の出身地にはかつて、「渥美焼」という焼き物があった事を知りました。15〜16世紀に始まった「美濃焼」とは異なり、「渥美焼」の歴史はさらに古く12〜13世紀(平安時代〜鎌倉時代)にかけて盛んに作られ、東大寺の瓦としても使われていた記録があります。私は次第に渥美焼の素晴らしさに魅せられ、以来、生涯の研究対象となりました。
私にとって、作陶をする上でのテーマは「中世と現代の融合」と「自然との調和」です。「中世と現代の融合」とは12世紀〜16世紀にかけて、日本で作られていた焼き物の”美しさ“ や ”技術“を継承するとともに、現代の材料を用いて表現することだと考えます。その上で、現代の”美意識”や”用途”に融合した革新的な創作を行うことを目指します。「自然との調和」への私の想いは、神羅万象の自然への敬意と憧れが源にあります。環境負荷の少ない地元の材料を用いるだけではなく、機械作業では得られない人の手による仕事を大切にし、自然が持つ暖かさ、鋭さ、厳しさを器へと表現することだと考えます。自分自身と向き合い、葛藤しながら精魂込めて行うものづくり。焼き物を通して、ものづくりの味わい深さや伝統の素晴らしさに気付いて頂ける一助になれば幸いに思います。
私のこのような考えを形作った背景には日本独自の、またそれぞれの土地の持つ独自の文化や伝統、技術が軽視され、大量生産と大量消費、そして廃棄という現代のもののあり方への疑問がありました。特に近年、現れては消えていく大量の新しい情報のもとに暮らす社会の中で、日本の伝統に触れたり、身近な地域に根付く文化や自然の、失くしてしまった後ではもとに戻せないような価値を味わう機会も少なくなっているように感じます。このような中で私は、作陶家として学んだ古の文化や、地元の文化、自然の豊かさを微力ながら伝えていく責任があるのではないかと考えます。
陶磁器を作り、使って暮らすことに国境はありません。制作を続けることで世界中の方と交流出来る喜びを感じています。今後も地域に根差したものづくりをしながら、より交流を深めさせていただき、作品の質と技術の向上に精進して参ります。
思い描く理想へ、近づいたかと思えばまた離れていく。そのことの繰り返しですが、歩みを止めることなく永遠に憧れ、追い求めてゆく道でありたいと願います。
稲吉オサム